第二十五章 日本統治時代の朝鮮



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 日本は1910年より1945年の36年間韓国を統治した。李氏朝鮮時代には、王家と貴族によってすべての政治的な決定がなされいていたが、日本政府は、韓国に民主主義選挙を導入した。その結果、道議会議員、同知事のほとんどが日本人ではなく朝鮮人によって占められた。王家独裁を廃し、韓国に普通選挙を導入したのは日本人である。韓国には厳しい身分制度があり、上から両班、中人、常人、賤民と続き、賤民は、奴婢、白丁に分かれた。人間扱いされない賤民は全人口の実に30%を占めた。この事実から、韓国人がいかに差別民族かがよくわかる。日本総督府は、それまで姓を持つことを赦されなかった白丁などに姓を名乗らせ、戸籍から身分を削除し、賤民の子供も学校に通えるようにした!当時身分制度廃止に反対する両班の抗議や激しいデモが発生したが、日本総督府は身分解放を強行した。もし、日本人が韓国を統治していなかったならば、他の人を軽蔑し、差別し、蔑むことが大変好きな韓国人のことであるので、利害、プライド、偏見、無知が災いして、実質的な差別は今も続いていたに違いないのだ。インドのカースト制などに見られるように、もし、イギリスや他の西洋諸国が韓国を統治していたら、身分制度をより先鋭化させて、国民を対立させていたことは間違いない。現在韓国が平等で、身分、階級間の対立のない社会になっているのは、ひたすら日本人のお陰であり、この点で韓国人は、日本人にいくら感謝しても感謝しきれないのであるが、卑劣な韓国人は、この事実を歴史の闇に葬り去ろうとしている。


 李氏朝鮮では、女性は蔑まれ、封建的な頸木(くびき)の下にあったが、朝鮮総督府は、女性の再婚を許可し、纏足(てんそく、性的な魅力を増すために女児の足が成人後も大きくならないようにするもので中国伝来の風習)を禁止し、少女を妓生(売春婦)にすることを禁止し、人身売買を禁止した!また、男児を生むとその証(あかし)に、女は、乳房を露出した乳チョゴリという服を着ていたが、この野蛮な風習を禁止した。韓国の女が、再婚できるようになったのは、日本人のお陰である。少女を売買して慰安婦に使っていたのは、日本人ではなく韓国人であり、日本人はその悪習を禁止してやったのだ。日本人は、韓国の少女の世紀の大恩人なのだ!日本人は、封建時代の男尊女卑の風習から様々なやり方で虐げられていた韓国の女を、愚かな韓国の男どもから救ってやっただけではなく、宦官(かんがん)の禁止、因習の廃止、呪術的医療の禁止、私刑の禁止、残虐刑の禁止、家長の権限の制限など韓国人単独の政権では、無知と伝統から到底不可能な近代的な改革を断行した。


 1906年の韓国内の小学校の数は、僅か40校足らずで、両班などの貴族階級の子供が通っていたが、当時文盲率は90%以上であった!朝鮮総督府初代総監の伊藤博文は、韓国の教育水準の低さに憤慨し、大韓国の官僚たちに「一体あなたたちは、今まで何をしてきたのか」と叱責し、学校建設を最優先課題とした。その結果1943年には、小学校は4271校を数えた。1924年には、京城帝国大学が、京城(ソウル)に設立され、教授陣は日本から派遣された。その他京城師範学校、同女子師範学校、京城医学専門学校、同歯科医専門学校などが次々に設立され、教育水準向上のために必要な教師や近代医療のための医師が養成された。伊藤博文は、韓国人に暗殺され、暗殺者は現在韓国の英雄になっているが、これも韓国人の例の卑劣な歴史の歪曲によるのであり、伊藤博文は、実は韓国人の大恩人であったのだ!京城帝国大学は、現在のソウル大学の前身で、所在地も同じで、卒業生は、ソウル大学の同窓会の正式メンバーであるにもかかわらず、韓国人は、「ソウル大学は、1946年に新たに設立された大学で、京城帝国大学とは関係がない!」とここでも大嘘をついている。京城帝国大学が、ソウル大学と関係がないのであれば、何故京城帝国大学の卒業生が、ソウル大学の同窓会の正会員になれるのか?通常普通の人間は、このようなどうでもよいことまで嘘をつかないものである。嘘のつき方が細かすぎる。韓国人は、余程の小者民族だ。このような国民と接触すると、日本人が穢され汚染されるので、韓国人には接触すべきではない。日韓併合時に、日本では日韓併合反対派が、韓国併合の反対理由として「韓国人を皇民とせしは、皇国民の質の劣化である」と主張したが、その通りである。


 李氏朝鮮は、中国の清に隷従していたので、当時韓国人は、中国文化を崇拝していた。そのためにハングル文字は漢字に比べて蔑まれ”劣等文字”とされ、公文書にも使われていなかった!1911年に朝鮮総督府は、第一次教育令を発し、ハングルを学校教育の科目に採用した。1912年には、朝鮮語の綴字法(ていじほう)を作成し、1930年には、新正書綴字法を作成し、漢字一辺倒の李氏朝鮮の政策を打破し、ハングルの普及に努めた。戦後の反日教育で、韓国では日本人がハングルを禁止し、「日本人は朝鮮人から言語を奪った」と教えているが、それまで韓国人に蔑視されていたハングル文字を見直し、普及させたのは日本人なのだ。呆れた屑どもの言い分であるとしか言いようがない。歴史の歪曲もここまで行くと、その汚さに言葉を失う!いずれにしても戦後韓国経済が、台湾経済と並んで、他のアジア諸国よりも早くテークオフできたのは、日本人が施した教育水準の向上が貢献したことは間違いない。


 朝鮮総督府は、1934年に文化財保護のための総督府令を発し、朝鮮半島の文化財の保護に努めた。南大門を国宝に指定したのは日本人である!李氏朝鮮の教養の全くない政治家たちは、文化財保護の観念を持たず、朝鮮半島の文化財は、それまで荒れ放題であった。日本人が、修理と復興に情熱を燃やさなければ、無知蒙昧な韓国人のことである。古い時代の遺物は単なるガラクタと思って、建築資材か焚火にしたことであろう。韓国の文化財は、日本人のお陰で残ったのだ!


 日本人は、1894年に李氏朝鮮から鉄道施設権を得て、京仁戦を施設し、続いて京釜線、京義戦、京元線、中央線と次々に鉄道を完成させ、日本統治時代に4000kmの鉄道路線が完成した。日本人が、韓国の鉄道網を完成させたのだ!李氏朝鮮時代には、京城(ソウル)は、未舗装の道路が大部分で、乱雑で糞尿にまみれた世界一汚い無秩序な街であったが、日本人が、道路を舗装し、区画整理を行い、路面電車を走らせて、整然とした近代的な都市に変えた。この変わり様は、当時韓国を訪れた外国人を驚嘆させている。日本人は、関釜連絡船などの航路を開設し、日本韓国の空の便も開設した。李氏朝鮮の汚職と搾取にしか興味のない馬鹿政治家どもでは、到底できないことを日本人がしてあげたのだ!又近代的なホテルを建設して、観光客の誘致を図った。


 日本政府は、三菱製鉄(兼二浦製鉄所)、日本製鉄(清津製鉄所)に命じて韓国に製鉄所を建設して鉄の供給を開始し、日本窒素肥料に命じて水力発電所を建設した。1944年に完成した水豊ダムは、当時世界第2位の出力を誇った。韓国の戦前のインフラは、すべて日本人が建設したのだ!韓国統治開始当時には、韓国に近代的な会社組織は存在しなかったが、詐欺行為が多発するのを恐れて、朝鮮総督府は、商法を確立し、株式会社を許可制にした。1910年時点で社員5人以上の会社は僅かに151社であったが、1939年には6953社に増大した。サムスングループの三星商事もこの頃誕生し、多くの韓国人資本家が育った。ソウル大学の研究では、1911年から37年にかけての韓国の産業構造は、第一次産業(農林水産業)が75%から45%へ、第二次産業(工業)が7%から22%へ、第三次産業(商業)が18%から33%に変化し、日本統治時代に資本主義の発展と経済の高度化が急速に進んだことがわかる。この間の韓国の経済成長率は年率4.24%で、第一次世界大戦後の恐慌に苦しむ日本、アメリカが3%台、欧州が1%台であることを見ても、韓国の発展が大きいことがわかる。


 現在韓国では、驚くべきことに「李氏朝鮮が基礎を作り発展させたものを、日本人が植民地化によって1945年までに資本主義の発展を大きく抑制した」と言うのが通説になっており、学校でもそのように教えている!旧日本軍従軍慰安婦問題同様これほど汚いねつ造話はない!日本人が、鉄道、道路、水道、製鉄所、水力発電所などのインフラを建設し、小学校、大学を初めとした無数の学校を建設して識字率を飛躍的に向上させ、ハングル文字を普及させ、商法を確立し、民族資本を育て、産業革命を起こし、資本主義を大きく発展させたのだ。そのことはソウル大学の研究でも明らかである!李氏朝鮮は、宦官、纏足、乳チョゴリ、人身売買、少女妓生、残虐刑、私刑、賤民制度などに典型的に見られるように、前近代的な風習に囚われた政権であり、財源もなく汚職まみれの王族や無能役人しか存在しなかったのだ。実際当時の李氏朝鮮の政治家や支配階級たちは、汚職、搾取、利権漁りによって贅沢三昧の生活をし、私腹を肥やすことしか考えていなかった。その結果庶民は、糞尿まみれの都市や村で、地べたで暮らしていたのだ!どこかの国が助けてやらなければ、国家破滅しかない状況であったのであるが、それを韓国人単独でできた資本主義の発展を日本人が邪魔をしたと言うのである!


 ハーバート大学の朝鮮史が専門のカーター・J・エッカート教授は、「李氏朝鮮時代の経済規模は、同時代の日本や中国と比べて小さく、当時の商人と後の資本家との間の繋がりがほとんどないために、資本主義の萌芽が李氏朝鮮では存在せず、日韓併合によって生まれ、特に戦後の韓国の資本主義や工業化は、上記のような日本の朝鮮半島の近代化政策を真似したものである」と述べ、韓国の戦前戦後の発展が、すべて日本人の功績によることを明言している。従軍慰安婦や整形バケモノに見られるように、韓国人は人を騙すことに全く抵抗のない民族で、金しか興味のない国民のために、恩を感じるということがないのだ!



 李氏朝鮮時代は、政治家は私腹を肥やすことしか頭になかったので、山林、河川、道路は荒れ放題であった。朝鮮半島は花崗岩の大地で禿山が多く、降雨で土砂が流れ込み、農業に悪影響を及ぼしていたが、日本人が造林事業を開始し、1924年の京城日報によると、1911年に植えられた木は、1152本、4000町であったが、1922年までにその累計は、6億本、約36万町に及んだ。禿山が緑豊かな山林に変わったのだ。日本人は、耕作地を拡大し、農業ダム1527件、水路410件を建設し、その他に砂防ダムを建設したので、農民は飢えから救われた!耕作地は、日本統治時代に246万町から449万町に拡大している。当時農民は、官吏、地主、両班、高利貸(トンノリ)の収奪を受けていて、貧困の底に喘いでいた。そして、娘を売っていたのだ。このような王族や支配階級の農民に対する搾取、収奪が韓国人の恨の文化の根にあることは間違いないのだ!日本人は、金融組合を組織し、農民が、安い金利で融資を受けることができるようにした。また水利組合を組織した。日本人は、農業技術指導、農地開発なども行ったので農民は地獄から救われ、李氏朝鮮時代よりは比べものにならない程豊かになった。


 朝鮮半島の米の生産高は、1909年に僅か745万石であったが、1918年には、1529万石に倍増している。高価な米は、日本に輸出し、その代金で安価な穀物を購入して消費したが、それでも朝鮮半島の米の消費量は、生産量の絶対量の増加で日本統治時代に減少せず、増えている。この結果朝鮮半島の人口は顕著に増大し、韓国人の身長もこの間伸びた。ソウル大学の李栄薫教授は、「日帝による土地収奪論は、神話であり、私たちが植民地時代に知っている韓国人の集団的な記憶は、多くの場合つくられたもので、教育されたものだ」と、はっきり韓国人による歴史の歪曲と穢れた反日教育の存在を指摘している!彼は、「食料を日本に輸出したのも、市場を通じた商行為に基ずくものである」と述べている。従軍慰安婦問題では、双方の合意に基ずく正当な商行為を”強制連行””売春の強要”に話をすり替え、日本人から金を騙し取ったが、日本への米の輸出も”日帝による収奪”といったもっともらし話をでっち上げたのだ。当時朝鮮の米は、朝鮮総督府の実施した産米の逆ザヤ制度(朝鮮総督府が高く買いあげて安く売ること)により内地米よりも安かったので、日本の東北などの生産性の低い地域の農民が大打撃を受けて困窮した。また、韓国からの密航者の流入によって、内地で失業者が増大している。日韓併合によって搾取されたのは日本人の方である!歴史の歪曲もここまでくると言葉を失う。


 李氏朝鮮時代には、コレラ、天然痘、ペストが流行したが、李氏朝鮮では、医療は漢方や呪術的なものしか存在しなかった。朝鮮総督府は、集団予防接種や生活指導を行い、これにより幼児死亡率が大幅に減少した。また、食料生産量が飛躍的に増大したので、疫病の終息とともに韓国の人口は、1910年の日韓併合時の13百万人から1944年には25百万人に倍増し、平均寿命は24歳から45歳に伸びた!僅か34年間で人口が2倍に増えたのだ!全て日本人のお陰であり、韓国人単独では、一般市民は地獄の底を彷徨(さまよ)い続けていたのだ。


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