第十章 韓国人の懇願で実現した日韓併合



ホームへ  次の章へ


 小国が、大国に迎合して自己の保身を図ることを「事大主義」(じだいしゅぎ)と言う。韓国の支配者は、古来より中国の中央政権に臣下の立場を取り、外交政策は中国の指示に従い、事あるときは、中国の軍事力に頼ってきた。すなわち韓国人は、古来より中国人に諂(へつら)ってきた劣等民族である。特に李朝を開いた李成桂は、とんでもない臆病者で、「小をもって大に仕えるは保国の道」と称して、明に内通して、明との開戦を決意した高麗王朝を倒した事大主義の権化のような人物であった。彼は、当時高麗王朝の中でも有力な将軍の一人で、高麗王朝の主力部隊を率いて明軍との決戦に臨んだが、怖気づいたのだ!恩になった高麗王朝を裏切り、明軍と合流して、逆に高麗王朝を攻めて韓国王なった。臆病者の薄汚い裏切り者が、李氏朝鮮の開祖である。当時、明人であれば、海賊でも丁重に中国に送り返さなければならなかったのだ!中国の要人が韓国を訪れる時には、韓国人は、通り道の両側に3か月前から整列して土下座していたのであり、顔をあげることは赦されていなかったのだ。裏切者、内通者のつくった卑怯な寄生虫国家であるから、独立の気概や精神は、李朝の王族や官僚には初めから全くなかったのであり、これが後の日韓併合の原因になる。仮定の話として、高麗政権が明との戦いに勝って独立を保っていれば、韓国人の性格は現在見られるような卑劣なものにはなっていなかったはずである。


 李王朝は、国の安全は中国の軍事力に頼ることになっていたので、西洋列強が東アジアに現れたとき、李朝の唯一の頼みは中国の清であったが、清は、西洋列強にまったく歯が立たず、イギリス、フランス、ロシアに次々に敗れ、国土を割譲する羽目に陥った。このために李朝内部では、親清派は急速に力を失い、親露派と親日派が台頭したが、日露戦争で日本がロシアに勝利すると、親日派が大勢を占めるに至った。韓国人は、伝統的に風見鶏で信念がなく、その時々の情勢を見て強い者に鞍替えして諂う「諂い民族」である。李朝は、軍事力らしきものを持っていなかったので、清が当てにできない以上、どの国に諂い臣従するかが韓国の外交問題の全てであり、当時の韓国にそれ以外の外交問題は存在しなかったのだ!現在の韓国では、第26代の王高宗や王妃の閔姫(みんぴ)が事大先を次々に変えた行動を、韓国の独立を守るためであったと評価しているが、韓国人は、余りに惨めな自国の歴史を直視できないために、自身の作り話に酔っているのだ!韓国人の学者の崔基鍋や呉善花は、当時の李氏朝鮮は独立国と呼べる状態ではなく、高宗や閔姫の行動を場当たり的な政策に過ぎなかったと見ている。


 当時の李氏朝鮮は、鉄道などのインフラは、その利権を列強に売り渡し、関税権も閔姫がロシアに売り渡して私腹を肥やし、返済不能の借金地獄に陥っていた。即ち主権を持つ独立国と言える状態ではなかったのだ。おまけに王族、貴族、官僚は、国家存亡の危機に臨んでも、従来通り汚職と搾取によって贅沢三昧の生活を続け、田畑、道路、山林、水道、文化財、家屋は荒れ放題で、庶民は地べたで暮らして泥沼の貧困に喘いでいた。当時の韓国人は、西洋列強がアジアの植民地で暴虐無残な行為を現地人に対して行っていたことを知っていたし、ロシアに臣従すると、市民がシベリア送りにされることも知っていた。従って、当時の韓国人は、日本人に臣従することを選択したのであり、それ以外に道は残されていなかったのだ!当時アメリカに滞在した朝鮮全権アメリカ大使李成玉は、「李完用候の心事と日韓和合」の中で「韓国人は、西洋人の中では、”犬”か”豚”に等しい扱いで、インディアン、メキシコ人、インド人よりも軽蔑されていた」ことに驚愕し、「現在の朝鮮人の力量からすると、独立国家の体面を保つことはできない。欧米人は、韓国人を犬か豚のように思っているが、日本人は違う。日本人は、日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気にくわないが、これは朝鮮人を同一視しているからである。日本人は、朝鮮人を導き、世界文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民族が”豚”の境遇から脱して、人間としての幸福を得られる道はない」と述べている。李成玉の記述で、当時の韓国人が、西洋列強ではなく日本への臣従を望んだ事情が分かる。日本人は、韓国を侵略したのではなく、韓国人を豚の境遇から救ってやったのである。断っておくが、韓国人を最初に”豚”と言ったのは、日本人ではなく、韓国人の李成玉である。

 

 当時の韓国では、民衆に参政権はなく、重大な政治的決定は王族と閣僚、有力政治団体によってなされた。李朝政権の最大政党一進会が日韓併合を進め、閣僚も一人を除いて全員が、日韓併合以外に道なしの結論に達し、1910年8月22日の御前会議で併合が承認され、李完用首相が全権大使に任命された。即ち韓国の最高意志決定機関である御前会議で日韓併合が決定されたのである。韓国人のお願いで日韓併合が実現したのだ!


 日本が、韓国を力で韓国人の意に反して嫌々征服したのであれば、日本軍は、何月何日に韓国のどこの国境を越えて上陸(侵入)し、何月何日に首都(京城)に入り、何月何日に首都を完全に制圧したと言うのか。王宮制圧の際には、日本軍は、守備隊と衝突したはずであるが、衝突の記録も武装解除の記録も残っていない。日本が韓国人の意に反して韓国を制圧したのであれば、当然王族、政治家の降伏、処刑、監禁、粛清、追放、亡命と言った事態が生じていたはずであるし、また、テロ、反乱、デモ、と言った事態が必ず生じたはずであるが、文字通り何もなかった!誰も何も目撃したいないのだ。このような事態を”シンリャク”とは発音しないことを、頭の悪い韓国人に教えてやる必要がある。もしも日本が武力で韓国を制圧したのならば、他の列強も韓国を狙っていたのであるから、黙っていなかったことは間違いない。共同戦線を張って日本の邪魔をしていた。卑劣な韓国人は、日韓併合の真実を歴史上から抹殺しようとしている。日韓併合の被害者は、三流民族を押し付けられた日本人であり、韓国人ではない。韓国人は、加害者であるにも関わらず、被害者気取りで、ここでも詐欺民族の本性を暴露している。当時日本では、日韓併合については、賛成派と反対派が存在し、伊藤博文は反対派であった。反対派の意見は「韓国の発展のためには膨大な資金が必要で、日本はその負担に耐えられない」「韓国人を皇民とせしは、皇国民の質の劣化である」と言うものであったが、「皇国民の質の劣化」の危惧は、的を得ていると言わざるを得ない。


 韓国人が完全な馬鹿民族であると言えるのは、日本が韓国を併合していなければ、韓国は独立を保ることが出来たと信じていることである!当時西洋列強は植民地獲得合戦を世界中で繰り広げていたのであり、韓国も当然狙われたいた。ロシアは、不凍港を求めて南下していたので、韓国が日本に庇護を求めなければ、ロシアが飛びついていたことは間違いない。ロシアが飛びついていなければ、イギリスかフランスかその両方が飛びついていたのだ!当時は、無能民族の国家は、植民地にされる宿命にあったのだ。もし、ロシアと李氏朝鮮が戦っていたら、馬とか弓とか槍とかの武器しか持たない李氏朝鮮が、赤子の手を捻るように敗れたことは間違いない。韓国がロシアの植民地になっていたら、韓国人は、日本人に対してしたように、「謝罪しろ」「謝罪しろ」としつこくロシア人に迫ったであろうか。答えは「ノー」である。韓国人はロシア人のような白人には何をされても我慢できるのである。韓国人は、白人は、自分たちとは能力が大幅に異なると思っているからである。しかし、日本人については事情が異なる。韓国人は、日本人と韓国人は能力が違わないと思っていたのだ!西洋列強の力に怯え、同じアジア人で能力の変わらないと思っていた隣人の日本人に庇護を求めなければ生き残れなかった自分たちのあまりの不甲斐なさに堪えられなくなり、歴史の真実から逃避し、自身の頭を麻痺させるために、自分たちが日韓併合を頼み込んでいながら、執拗に「謝罪しろ」「謝罪しろ」と喚きだしたのだ。これほどレベルが低くく、質(たち)の悪い民族が、この地上にかつて存在したのか?これは人間ではない、豚である。


次の章へ




inserted by FC2 system