第二十八章 日本統治時代の台湾



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 日本は、韓国で行ったこととほぼ同じことを台湾で行った。1895年の台湾統治開始より、教育の奨励、インフラの整備、医療改革、農業振興、工業の発達、商業の振興などである。統治開始当時、台湾人の識字率は3.8%であったが、終戦前の1944年には71.3%に増大し、国民学校は944校、生徒数は876千人にのぼった。この他師範学校、各種商業学校、工業学校、農業学校、台北帝国大学を設立して、台湾の発展のための基本である人材の育成に努めた。台湾人は、現在の台北大学の前身が、台北帝国大学であることをもちろん認めており、韓国人のように「京城帝国大学は、ソウル大学の前身ではない」と言った卑劣な大嘘はついていない!台湾は、中国や他の列強の植民地と比較して、戦前の識字率、就学率が各段に高く、何れも先進国並みであったが、これはもちろん日本人の占領政策の成果による。台湾の日本語世代と言われる人々は、戦前に学校で日本語教育を受けた人々で、彼らは、日本語に対する愛着を強く持ち、同世代の仲間との雑談は、全て日本語で行い、激論も日本語で戦わす。彼らは、一応に勤勉で、謙虚、恩義に熱い性格をしており、それは、日本統治時代の社会と学校教育によって培われたのであると言われている。


 

 韓国におけると同様日本人は、台湾でも鉄道の施設に熱心で、1908年には南北貫通戦が完成し、それまで移動に数日を要したのが1日で済むようになった。その他淡水線、宜蘭線、東港線などの多くの幹線、支線、森林鉄道、塩業鉄道、鉱業鉄道、糖業鉄道などを施設した。基隆港、高雄港を整備し、大型船舶の寄港を可能にし、離島との連絡のために花蓮港、馬公港を整備した。1903年には、淡水の支流に発電所を建設して、台北市に電力を供給し、その後も台北電気作業所、亀山水力発電所、小粗抗発電所、竹子門発電所を次々に建設し、1934年にアジア最大の発電所である日月潭第一発電所を完成させ、翌年に第二発電所を完成させた。


 1899年には、台湾銀行が設立され、台湾総督府の依頼を受けて台湾銀行券を発行し、通貨業務を行った。この台湾銀行を通して、大量の日本資本が台湾に投下された。戦前の台湾の発展は、日本人の政治および大量の日本資本の投下抜きには考えられない。台湾総督府は、台湾の商工業の発展のために、彰化銀行、嘉義銀行、台湾商工銀行、新高銀行、華南銀行、勧業銀行などを設立し、さらに信用銀行、信託銀行が設立され、庶民の小口の需要にも対応した。かくして台湾は、清朝時代の封建的な農業中心の貧しい社会から、近代的な社会への仲間入りを果たしたのである。


 日本人は、台湾の農業の振興のために、水利施設を整備した、当時台湾の農業は遅れており、不作、飢饉から米騒動も発生していた。この解決に挑んだのが、日本人技師の八田与一で、台湾総督府の命を受けて1930年に烏山頭(うさんとう)ダムを完成させた。台湾南部の嘉南平野は大きな河川が存在せず、降水量も少なく農業に不向きで、農民は貧困に喘いでいたが、八田は、数々の困難を克服して10年の歳月をかけてダムを完成させた。台湾総督府は、1934年に嘉南運河を完成させ、ダムと運河の完成で、嘉南平野は台湾一の穀倉地帯に変身し、台湾の穀物事情は飛躍的に改善した。八田は、現在でも台湾人に尊敬され、5月8日の命日には、毎年現地で感謝祭が行われる。八田の銅像は、旧日本軍が金属を回収しようとした時と蒋介石の国民党軍が台湾に進出してきた時に、破壊を恐れた農民たちによって隠されたというエピソードがある。


 日本人が台湾に進出した当時、台湾ではマラリア、結核、ペストなどが流行していたので、台湾総督府は、各地に衛生所を設置し、日本から医師を呼び寄せ、伝染病の撲滅を図った。家屋の換気の奨励、強制清掃、伝染病患者の隔離、予防注射を実施し、市民の衛生意識を高めた。台北帝国大学に熱帯医学研究所が設立され、医療技師の育成と衛生状態の改善が図られた。イギリスの占領政策により、清国では市民がアヘン中毒に侵されていたが、日本総督府は、1895年の統治開始後直ちにアヘン撲滅に乗り出し、アヘンの吸引を禁止したが、吸飲者があまりにも多く、即時全面禁止は困難と判断し、1897年にアヘンを専売品として、習慣的な吸飲者に限定して一代限定の吸飲免許を与え、新規免許は与えない方針にしたために、1900年には168千人の吸飲者がいたが、1921年には4500人に激減した。イギリス人は、中国人をアヘン漬けにして、中国人の精神と肉体をむしばむことによって自己の利益を図ったが、日本人は、愛情をもって台湾人を救ったのである。人類でも稀な人道的占領政策であると言わざるを得ない。インフラの整備、教育の推進、商工業の振興、職の創設、近代医療体制の確立、農業の振興などを通して、台湾経済は以前の清朝政権下での封建的、前近代的な困窮経済から一新され、市民は豊かになり、人口は、1895年の260万から1945年には650万人と、僅か50年の間に2.5倍に増大した!


 日本人が台湾を去ると、蒋介石の国民党軍が台湾に進出したが、日本人のそれと異なり、国民党の政治は非人道的で過酷なものであった。政府の要職は、蒋介石の連れて来た外省人が独占し、役人、軍人の汚職が激しかった。公の場での台湾の土着語の使用は禁止しされ、北京語が強要された。郷土文化の研究は禁止され、郷土意識を持つことも許されなかった。これらに反発して以前から台湾に住む本省人が1947年2月28日に蜂起すると(二・ニ八事件)、蒋介石はこれを徹底的に弾圧し、抵抗意識を根絶するために、知識階級、共産主義者を数万人虐殺した(ただし、正確な数は、国民党が資料の提出を拒んでいるので不明)。蒋介石の死後も、国民党の恐怖政治は続いた。日本人と異なり要職をすべて外省人で独占し、汚職を公然と行い、抵抗者を虐殺する国民党政権に本省人は失望し、日本人の統治の方がはるかによかったの評価が定まった。まさに戦前に日本人が目指した大東亜共栄圏が、台湾の人々に恩恵をもたらしていたのだ!この事実は韓国についても真実で、日本人の統治の方が、その後の李承晩やそれに続くヘボ大統領の統治よりはるかに良かったのだ!戦後も日本人が統治し続けていたら、韓国は今よりはるかに豊かになり、韓国人の腐りきった性格も少しはましになっていたのだ。


 中国本土は、台湾のように日本人が完全に占領し、完全に統治することがなかったので、インフラの整備、教育制度の確立、医療体制の確立、商工業の振興、農業振興などの恩恵を受けることが全く出来なかった。中国を支配したのは、中国共産党政権であるが、この政権は人類史上最も質(たち)の悪い政権である!一党独裁政権で、独裁者の元に官吏は末端の木っ端役人まで私腹を肥やすことしか考えていない。国民から収奪することしか頭にないのだ。おまけに、毛沢東とその一派に率いられた紅衛兵によって、知識階級を中心に1億人以上が政治的な迫害を受け、全く罪がないにもかかわらず数千万人が虐殺されるか自殺に追い込まれた!毛沢東は、ヒトラー、スターリン以上の史上最大の虐殺者であったのだ!日本人が統治していたら、大虐殺は起きず、どれほどよかったか想像ができない。暗黒の時代が、バラ色の時代になっていたのだ。南京大虐殺は、韓国人同様卑劣な詐欺民族の中国人の作り話である!毛沢東を初めとする中国の共産主義者には、国の近代化に必要な知識は全くなく、国民は清朝政権下と同じかむしろ貧しくなった。中国の産業革命は、鄧小平の改革開放によって日本をはじめとした西側資本に土下座して、中国人が西側資本の労働者として働かしてもらって、初めて達成できたのだが、それも戦後45年以上たっての話である。45年の空白の影響は大きく、現在でも中国人の平均所得は極めて低い。また、世界でも例を見ない程の貧富の差がある。もし、日本人が中国を統治していたら、中国人は、底辺の人々が、現在よりもはるかに豊かで一流の国民かそれに近い国民にしてもらえていたのだ。マナーも性格も良くなっていた。中国人の統治よりも日本人の統治の方が、数百倍優れているのだ。大東亜共栄圏が正しかったのである。


 日本人が台湾の発展に巨大な貢献をしたために、台湾人は、今でも親日的で、2010年の世論調査では、「最も好きな国」の1位は日本で52%、2位アメリカ8%、3位中国5%と続き、韓国は何%か不明である。台湾人は、他の国民同様韓国人を嫌っているようだ。2009年の第2回ワールドカップベースボールの準決勝4チームの内、日本を応援すると答えたのは63.4%、アメリカ10.4%、べネゼエラ7.2%、韓国5.3%で、韓国は驚くべきことに、台湾とは縁もゆかりもなく遠く離れたべネゼエラよりも人気がなく最下位である!汚い性格が余程嫌われているのだ。東日本大震災の際には、台湾から200億円の義援金が寄せられ、2006年のアンケート調査では、「移民したい」「行ってみたい」「尊敬すべし」「留学したい」の4項目のうち、「移民したい」「行ってみたい」「尊敬すべし」の3項目で日本がトップであった。


 台湾では日本文化は人気があり、日本のヒット曲も台湾の歌手によって歌われているが、テレビ番組で日本の曲を台湾の歌手が台湾語で歌う場合には、字幕に「日本曲」と紹介され、日本人の作曲者も字幕で紹介される。これに対して、盗み専門の韓国人においては、日本の曲は、新曲としてリリースされるのだ!日本の工業製品を持ち帰って分解して、そっくり同じものを作り、「新製品」として売り出す手法と全く同じである。


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