第二十九章 日本統治時代のパラオ



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 パラオは素晴らしいダイビングスポットを持つ南太平洋の島国であるが、日本は1914年に第一次世界大戦の敗戦国ドイツから譲りうけて統治を開始した。ドイツ以前は、スペインに支配されていた。パラオは多数の島からなるので、日本は、道路を整備し、多数の橋を建設し、更に電気、水道を整備し、学校、病院、工場を建設した。現地の子供は、小学生でも九九算が出来た。パラオでは、すべての財産が一部の氏族によって独占されていたが、財産の所有権を各個人に分配し、韓国同様特権階級を廃止して平等な社会にした.!伝染病を防止するために予防接種を行い、缶詰め工場を建てて職を増やし、サトウキビの栽培、真珠の養殖をパラオ社会に根つかせた。スペイン人もドイツ人も自分たちは働かず、現地人を労働者として搾取するだけだったが、日本人は率先して汗を流して農作業にいそしみ、パラオの人々に手本を示したので、パラオの人たちは日本人を尊敬した。パラオの人たちは、日本人によって「勤勉の尊さ」を学んだと言う。そして、パラオの人たちと日本人の間には”友情”が生まれたが、もちろん、現地人と支配者の”友情”は、他の西洋列強の支配地域では断じてあり得なかった現象であるのだ。これが大東亜共栄圏である。


 

 1944年9月15日にアメリカ軍は、パラオのペリリュー島にいた日本軍への攻撃を開始し、艦砲射撃と空爆を数十回繰り返して、上陸開始前にペリリュー島をハチの巣にした。アメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督は、三日でペリリュー島を攻略すると豪語したが、中川大佐を司令官をする日本軍守備隊は、兵員、武器装備ともに圧倒的に不利な状況で、2か月間戦い抜き、食料弾薬尽きて、最後に生き残った55人が玉砕した。戦闘が始まる前に島の住民は、「自分たちも死ぬ覚悟が出来ているので、日本軍とともに戦いたい」と中川大佐に志願した。島民が、日本人に対していかに友情と親愛の念をもっていたかが、この事実でわかる。中川は「誇り高き帝国軍人が、貴様ら土人とともに戦うことができるか!出て行け!」と叫んだ。島民は、「日本人は、友達だと思っていたが、本心では自分たちを土人と見下していたのだ」と思い、裏切られたと感じた。そして、闇夜に紛れて島民全員が、安全なバベルダオート島に避難した。島民は、日本軍玉砕の後、島に戻り無数の残骸を見て、日本兵の死を悲しみ、お墓を建てて霊をともらった。島民は、中川大佐が島民を土人呼ばわりしたのは、島民を戦闘に巻き込みたくなかったためであることを知って号泣したのである。ペリリュー島には、日本兵を讃えた碑があるが、それには「この島を訪れる諸々の国の旅人よ、あなたが日本の国を通過することがあれば伝えてほしい。この島を守った日本軍守備隊の勇気と祖国を思う心魂を」と刻まれていている。


 日本人が去ったあと、アメリカ人がパラオを統治したが、アメリカ人は、パラオに根付いた日本文化とパラオ人の日本人びいきに驚愕した。そして、日本人がパラオに建設したすべてを破壊するという暴挙に出たのである。道路は舗装まで剥ぎ取り、橋はすべて破壊し、工場を破壊し、畑は隅々まで踏みつぶした!その上で膨大な額の援助を行い、働かなくても生きて行ける社会にしたのである。「動物園政策」と言われる政策で、アメリカの援助なしには、パラオ社会が成り立たない仕組みにしたのであるが、パラオの人々の労働意欲は低下し、治安が悪化し、社会全体が荒廃した。おまけにそれまでの魚介類中心の食生活が、肉食生活に転換したために、肥満の問題が生じた。アメリカ人は、パラオの子供たちに学校で、卑劣にも韓国人が行っているように大嘘を教えた!「日本人は残虐で、パラオ人をいじめ、多くのパラオ人を殺した」と嘘を並べたのであるが、パラオの大人たちはこれに反発し、「何を言うか。日本人は素晴らしかった」と反論したのだ!卑劣な反日プロパガンダは、韓国人、中国人のみではなかったのである。西洋の植民地支配者たちも、戦後に植民地解放者の日本人を悪者にして自己を正当化しようとしたのである。パラオの人たちは、歴史的にスペイン、ドイツ、日本、アメリカの支配を受けたが、「日本統治時代が最もよかった」と口を揃えて言い、日本時代を懐かしむ。そして現在世界でも有数の親日国になっている。パラオの第4代大統領はクニオ・ナカムラで、彼の父親の出身地は三重県である。


 パラオには、「シゲオ」「クニコ」「フミコ」「ヤチヨ」と言った日本名を持つ人が多く、「ドウゾ」「ゴメン」「ダイジョウブ」「ユカタ」「ダイク」「センキョ」などの日本語がパラオ語の中に残っている。1994年に悲願の独立を果たしたが、パラオの国定教科書には、日本の統治時代の教育振興、産業振興、インフラ整備などについて詳しく記述され、日本統治時代を「パラオの発展にとって重要な期間」「日本人は、努力次第で認められる公平な社会を構築した」と既述し、日本人が行った身分の解放についても触れている。国定教科書全462ページのうち36ページが日本統治時代に当てられ、章の名前は「日の丸の旗のもとに」である。韓国の嘘だらけの歴史教科書といかに異なることか。パラオ人は正直で、嘘をつくことに全く罪悪感を感じない”真正の詐欺民族”韓国人とは正反対だ。


 1995年10月にパラオは、独立1周年記念式典を盛大に挙行したが、パラオの人たちが何よりも望んだ日本政府からの出席者はなかった!また祝電も届かなかった!時の日本政府は、社会党(現社会民主党)代表の村上富市が首相を務めていたので、旧日本軍の評価につながるような式典は無視したのである。左派系政治家や左派系メディアは、韓国人や中国共産党闘政権との共同作業で、戦前に日本人は占領地で悪いことばかりしてきたと宣伝し、日本人を貶(おとし)めようと必死になっている。そのために歴史の真実を抹殺し、戦前戦中の日本人を犯罪者として扱うことによって、現代の日本人を洗脳しているのである。戦前戦中の日本人を犯罪者にするためには、パラオの歴史に対して日本人が注目するのを阻止したかったのであり、そのためにパラオの独立式典を無視したのだ。ここにも明らかなる卑劣な歴史の歪曲がある。


 パラオの現大統領トミー・レメンゲサウは、現代の日本人に対して次のようなメッセージを送っている。「日本人のバイタリティが、パラオを造ったという事実をご存知ですか。終戦までに日本は、パラオのために様々な教育や産業を伝えましたが、それはその後のパラオ独立のために貴重な原動力になりました。現在でもパラオの長老たちは、日本のことを”内地”と呼び、世界でも最も親日感情の強い国と言っても過言ではないのです」最後にパラオに関するエピソードを一つ紹介する。パラオは、1981年に新国旗を制定した。新デザインは、国民投票で決定したが、日の丸に酷似している。パラオの新国旗は月をテーマにしており、月の周囲は、南の海を象徴する鮮明な青色であるが、パラオの月は中心よりも少しずれた位置にある。これは真ん中にあると日の丸と似すぎていて恐れ多いからだそうだ。日本に寄せるパラオの人たちの思いが、日の丸に似せた新国旗に表れているし、パラオの近代史を知ると、かつて日本人が掲げた大東亜共栄圏の思想や太平洋戦争の再評価、そして靖国神社に眠るA級戦犯の名誉回復が必要であることが痛感させられる。


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