第三十二章 イギリスの植民地支配



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 イギリスは、マレー人を統治するために、マレーシアをシンガポール、ペナン、マラッカの3つに分割し、更に王国の形態も一部に残して2つの連合州をつくった。分割しまくって住民が連合、連帯するのを阻止したのだ!香港から中国人を移住させて鉱山開発を行わせ、インド人を移住させて天ゴムを栽培させ、マレー人は僻地に追いやった。イギリスは、外国人を移住させて現地人と反目させ、その上に君臨したのだが、この身勝手な占領政策が、後に大変な災いをマレーシアに残すことになる。利にさとい中国人は華僑となり、経済の実権を握りマレー人を使うことになったので、民族間の対立が先鋭化し、1964年には両民族の衝突が生じ、暴動に発展した。1965年にマレー人との融和は困難と判断した華僑が、独立してシンガポールを建国したが、マレーシア内での両民族の対立は続き、1969年には196人の死者、439人の負傷者が出る暴動が発生した。


 

 スリランカ(旧名セイロン)は、ヒンズー教徒のタミル人2割、仏教徒のシンハラ人7割、イスラム教徒のムーア人1割の他民族国家、多宗教国家であるが、イギリスは、スリランカ統治に当たって少数民族タミル人優遇策を取り、タミル人を使って多数民族のシンハラ人を支配させた。多数派のシンハラ人に行政権を与えるのは危険と判断し、タミル人をイギリス人の犬にしてシンハラ人を看視させたのであるが、この身勝手な政策は、後に想像を絶する悲劇をスリランカにもたらすことになる。スリランカ独立後に、実権を握ったシンハラ人が復讐に出たのだ。仏教を国教化し、シンハラ語を公用語とし、シンハラ人優遇策を取ったので、タミル人が反撥し、世界的に有名なスリランカ内戦に発展した。


 1983年に「タミル・イスラーム解放のトラ」(LTTE)の政府軍襲撃を切っ掛けにして、コロンボ市内でシンハラ人のタミル人に対する虐殺暴動が発生し、それに続いてLTTEと政府軍による虐殺の連鎖が生じた。事態解決のためにインドが平和維持軍を送りこんだが、政府軍とインド軍との間で交戦状態になった。これが第一次イーラム戦争である。1990年の和平交渉失敗を受けて、第二次イーラム戦争が勃発し、インドの元首相とスリランカ大統領がそれぞれ暗殺された。第三次イーラム戦争は、1995年の停戦崩壊で始まり、LTTEが、バンダラナイケ空港を襲撃した。2004年には、LTTEの東部方面司令官が、LTTEを離脱して政府軍側につき、2006年に政府軍は大攻勢に出てLTTEの完全殲滅(せんめつ)を図った。LTTEは、ムッライッティーブの20万人の市民を盾にして立てこもったが、政府軍はそのうち15万人を救出したうえで、総攻撃に出て2009年5月にセイロン島を完全制圧した。これが第4次イーラム戦争であるが、最後の5か月間だけで民間人の死者は5万人にのぼり、28万人のタミル人が国内難民と化した。

 イギリスのテレビ局チャンネル4は、スリランカ国防軍がLTTEの幹部の捕虜の殺害を命じたとして、スリランカ政府を非難する番組を放送したが、イギリス人にスリランカ政府を非難する資格はない!スリランカの民族、宗派間の対立と内戦の原因は、すべてイギリス人の身勝手な占領政策によるもので、スリランカ人に罪はない。スリランカは、マレーシア同様イギリス人の利益のために犠牲にされたのだ。もし、日本人がスリランカを占領していたら、韓国、台湾、インドネシア、パラオ、ブルネイに見られたように民族間、宗派間の内戦は生じていない。と言うよりも、日本人は、その火種を消している!2013年に人道団体が発表した内容によると、スリランカ政府、軍、警察によるタミル系住民に対する迫害は続いており、令状なしに拉致、監禁され、LTTEのメンバーであることを自白させるために、拷問、強姦が行われているとされるが、スリランカ政府は、これらをすべてをLTTEのねつ造、プロパガンダと主張している。


 イギリスは、1765年にインドに進出し、1840年代にインドを完全に制圧したが、インド人に重い税金を課した上に、インド人から綿花を買い付け、イギリスの紡織業者に最新の織物機械で綿製品を織らせてインド市場で裁(さば)いたために、手工業中心のインドの織物産業は大打撃を受けた。1834年にインド総督ベンディングは、本国に「世界史上このような惨状に比すべきものは見いだせない。職工たちの骨がインドの平原を白色に化している」と報告した。織物の街ダッカの人口は、短期間の内に15万人から3万人に減少した!イギリスの東インド会社が、インド人に課した土地税は、1772年には234ポンドであったが、税金は年々重くなり、1857年には1531ポンドに膨れ上がった。おまけに東インド会社は、貿易で高く売れる紅茶、染料の藍、アヘンの原料のケシなどの栽培を農民に強制したために、食料が不足し、重税と相まって18世紀に大飢饉が3回発生し、19世紀には31回の大飢饉が生じ、19世紀だけで2240万人が餓死した。日本の占領政策といかに違うことか!インドの惨状を知った当時の日本人が、アジア人の白人種からの解放と大東亜共栄圏の発想を得たことは十分に理解できるのだ。


 余りの悪政に堪えかねて、反英機運が高まり、1857年にインド大反乱(旧名セポイの反乱)が発生した。イギリスは、インド統治に当たって他の植民地同様分割統治の手法を駆使して、宗派間の対立、カースト制による階級間の対立、部族間の対立をあらかじめ先鋭化させていたが、これが功を奏した。反乱軍は、宗派間、階級間、部族間の対立のために連携を欠き、全体を統一する司令部が存在しなかった。イギリスは、シク教徒、イラン人、ネパール人を動員して2年間で反乱を鎮圧したが、その後、徹底的な復讐に出る。反乱軍側についた町や村の住民を虐殺し、捕虜を大砲の砲身に括(くく)りつけて公衆の面前で吹き飛ばしたり、ヒンズー教徒が口にしてはならない牛や豚の血を無理矢理飲ませた上で殺した!


 1905年の日本のロシアに対する勝利は、抑圧れていた全インド人を文字通り狂喜させた。そして独立への願望が一気に高まるが、これに対してイギリスはベンガル分割令を出して国民の分割と対立を図った。インドの知識階級は、過激な民族運動を起こし、1906年のカルカッタ大会で民族独立、国産品愛用、民族教育、英国通貨排斥の大綱領が採択された。これに対抗して、イギリスは、インド・ムスリム連盟を発足させ、宗教的な分断を図った。またしても分割統治の登場である。カルカッタ大会が、日露戦争の1年後に採択されていることから、日露戦争がいかにインド人を鼓舞したかが理解できる。


 第一次世界大戦では、イギリスは100万人以上のインド人兵士を徴兵してヨーロッパの西部戦線に送りこんだ。食料、物資、戦費の一部もインド人に負担させたので、インド国民は困窮して反英機運は更に高まった。第一次世界大戦のイギリスの戦いは、インド人の犠牲の上に成り立っていたのだ!太平洋戦争で韓国人や台湾人を強制徴兵しなかった日本人とは対照的である。第二次世界大戦で、日本がイギリスに宣戦布告すると、インド人は再び飛び上がって喜んだ。ついに独立のチャンスが訪れたからである。マハトマ・ガンジーに並ぶインド独立の英雄チャンドラ・ポーズは、日本に渡り日本政府とインド独立の策を練った。日本軍と戦ったイギリス軍の中にはインド人兵士も混じっていたが、日本軍は捕虜にしたインド人兵士から志願兵を募り、インド国民軍を組織し、ポーズを指揮官に任命した。イギリス軍所属のインド兵の中から大量の対英戦争の志願兵が出たということは、日本のイギリスに対する戦いが正義の戦いであったという証しである。イギリスの歴史学者エリック・ボブズボームは、インドの独立は、ガンジーらの平和運動よりも、インド国民軍と日本軍がインド領インパールに侵攻したことによってもたらされたとしている。戦後の日本の首相が、インド政府の首脳に「先の大戦で多大のご迷惑をおかけした」と話すと、インド人は、意味が分からず「日本軍が、インドの独立のために多大の犠牲を払ってもらって感謝しています」と答え、「インド人と日本人は、インド独立のために共に戦った戦友です」と話すのだ。


 インドは1947年に独立するが、イギリスの分割統治の後遺症は重く、現在インドが抱える問題は、すべてイギリスの占領政策から生じていると断言できる。ヒンズー教徒とイスラム教徒との対立は解消不能までにエスカレートし、1947年の独立は、インドとパキスタンの分離独立となった。独立初年の1947年には早くもカシミールの領有権をめぐって第一次印パ戦争が勃発し、1971年に第二次印パ戦争が勃発した。1999年に両軍は再び激突した。現在両国は核兵器とミサイルを開発しあって、睨み合っている。また、インドではイギリスによって先鋭化されたカースト制による階級対立が、国民の融和を未だに妨げている。


 イギリスは、第一次世界大戦でオスマン・トルコとの戦いを有利に進めるために、当時トルコ領であったパレスチナのアラブ系の住民に武装蜂起を呼びかけ、その対価としてパレスチナ人の独立を約束した。他方でイギリスは、膨大な戦費の調達に苦しみ、ユダヤ人の大富豪ロスチャイルド家に接近して、外務大臣バルボアが、パレスチナにおけるユダヤ人国家の建設を支持する書簡(バルボア書簡)を提出し、資金の調達に成功するが、その結果戦後に大量のユダヤ人がパレスチナに上陸することになる。イギリスは、第一次世界大戦後にフランス、ロシアとパレスチナ分割について協議しており、二枚舌ではなく三枚舌を使っていたのだ!このイギリスの占領政策が、後の数次に渡る中東戦争、イスラム過激派、アルカイダ、タリバン、イスラム国らの自爆テロ、レイプ、虐殺、誘拐、拷問の原因になっている。


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