第三十三章 アメリカ統治時代のフィリッピン



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 近年の東南アジア諸国の経済発展は目を見張るものがあるが、不思議なことにフィリッピンは取り残されている。地理的に見ても日本、台湾、中国に近く、海の交通路に恵まれ、人口も多いので、アジア諸国の中で真っ先に発展してもよさそうなものであるが、それが発展しないのだ。この原因は、西洋人の植民地支配にある。フィリッピンは、当初スペイン人が植民地支配したが、スペイン人は貨幣を流通させ、原住民から借金の肩代わりに居住地を取り上げた!そして、原住民を使役して、マニラ麻、砂糖、タバコなどを栽培し、貿易で稼いだ。宗教はキリスト教(カソリック)を強制した。アメリカは、表向きエミリオ・アギナルド等の独立運動を支援したが、米西(スペイン)戦争に勝利すると、一転1899年6月にスペインからの独立宣言を行っていたアギナルドを逮捕し、スペインからフィリッピンを奪って植民地化し、抵抗するフィリッピン人60万人を虐殺した(米比戦争)!アメリカは、フィリッピン人をまんまと騙したのだ。正義の国アメリカも他の西洋列強同様、植民地獲得のために思いっきり汚いことをしている。太平洋戦争後、1946年にフィリッピンは、アメリカから独立したが、もし、日本がフィリッピンを攻めていなかったならば、フィリッピンはアメリカから独立するチャンスを得ていなかったのだ!アメリカは、1965年に誕生したマルコス政権を支援したが、このマルコスは、腐り切った独裁者で、イメルダ夫人らとともに国家を私物化し、21年間にわたって汚職にまみれた腐敗政治を行ったが、1986年に反発した民衆のデモや座り込みで追放され、アメリカに亡命した。


 1899年からの統治開始以来47年の間、アメリカ人は、フィリッピンの治安維持に関心を持たず、このためにフィリッピン人の現在の汚職体質、犯罪体質が培養された。この傾向は、アメリカが後ろ盾になったマルコス政権において更に助長された。アメリカは、植民地統治時代にインフラの整備、学校、工場、病院の建設、金融機関の整備、農業、林業、商業の振興など、日本人が、韓国、台湾などで行った現地人のための施策を全く行わなかった!勤勉の尊さを身をもって教え、かつ、労働の場所と機会を与えなかったのだ。白人であるアメリカ人にとってフィリッピン人は人間ではなかったので、こき使う以外の発想は浮かばなかったのである。アメリカ人は、フィリッピンでは反日教育だけは立派に行い、日本人を悪者にすることには成功したが、フィリッピンで使役と虐殺以外にしたことは反日教育だけだ!


 フィリッピンの男は一般に、怠け者が多く勤労意欲が低いと言われる。教育レベルも高くない。また、フィリッピンは、地方の役人から警察まで、賄賂を要求する賄賂社会と化している。マフィアが横行し、麻薬は日常茶飯事的に取引され、警察官が、麻薬取引に加担しているために、麻薬の売人は逮捕されても即釈放される!更に山賊が跋扈(ばっこ)し、誘拐がビジネスになっている。日本企業の駐在員は、通勤は決まったルートしか通らない。誘拐防止のために、子供には、当たり前に銃を持たせて学校に行かせる。銃や手榴弾が簡単に手に入り、5万円で殺人が行われる信じられない程堕落した社会であるが、このような堕落社会、麻薬社会、銃社会は、アメリカ統治時代に形成されたものである。おまけにアメリカ人は、フィリッピンに古くから存在する荘園制を放置した。このためフィリッピン人は貧富の差が極端に激しい。極一部の人々は日本人では考えられないような大豪邸に住み、贅沢三昧の生活をしているが、大多数の人々は、犬小屋のようなバラックに住み、地べたで生活している。


 国民の汚職体質、労働意欲の低さ、教育水準の低さ、治安の悪さなど荒れた社会を嫌って海外からの投資は進まず、フィリッピンの男は、中近東の国々などに出稼ぎに行き、女は日本などに介護士や看護師の仕事を求めて出稼ぎに行っている。フィリッピンの若い女が、卑劣な韓国人に騙されて、人身売買の憂き目に遭ったことは既に紹介したが、ことほど左様にフィリッピン国民は、仕事がなく、貧しいのだ。もし、日本人が47年間統治していたら、フィリッピンの治安ははるかに良くなり、荘園制は解体され、貧富の差は縮まり、フィリッピン人の知的水準と勤労意欲は高まり、戦後に多くの海外の企業が労働力と市場を求めてフィリッピンに進出し、フィリッピン人が豊かになっていたことは間違いがないのだ。フィリッピン南部のミンダナオ島には、イスラム武装組織のアブ・サヤフが存在し、独立国家の建設を目指し、テロ、誘拐、身代金要求などを繰り返しているが、もし、日本人が統治していたら、宗教、宗派間の融和を図り、紛争の火種を消していたのだ!日本人が、統治した方がどんなによかったか図り知れないのだ。


 2016年6月に大統領に就任したロドリゴ・ドゥテルテは、麻薬取引の撲滅を目指して、逮捕した容疑者をその場で射殺し、大統領就任3か月間で2000人を射殺した!彼は、ダバオ市長時代に自警団を組織し、麻薬取引者、犯罪者を片っ端から射殺して「無秩序都市」ダバオの治安を劇的に良くし、企業の呼び込みに成功している。彼は、「超法規的処刑」に対するアムネスティなどの人権団体や国連の非難声明を無視し、国連の藩事務総長の会談申し込みは拒否して、藩を「馬鹿!」と罵倒した。そして、人権侵害を止めるように訴えたアメリカのオバマ大統領を「売春婦の息子」という最大限の侮蔑言葉で罵(ののし)った。ドゥテルテは、腐り切ったフィリッピン社会の浄化に乗り出したのであるが、彼は反アメリカ的な立場を見せている。彼がアメリカを極端に嫌っているのは、フィリッピンが、ここまで悪くなったのは、アメリカ人の長年の統治に原因があることを見抜いているからだ。警察、検察、裁判官が、犯罪者たちによって買収されている社会では、法規的処置では、悪が栄えるだけで、国民の人権が著しく損なわれ続けることが、人権団体、国連の藩、オバマは理解できないのだ!彼ら愚か者たちは、哀れにもフィリッピンが芯まで腐った社会であることが分からないのである。人権を侵害しているのは、人権団体、国連、オバマの方である。彼らは、信じられないことに犯罪が増えることに加担しようとしているのだ。馬鹿もここまで行くと救いようがない!ドゥテルテは、フィリッピン国民には超人気があり、支持率は90%であることからわかるように、フィリッピン国民は、真実を知っているのだ。


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