第三十四章 西欧人の植民地支配の手口



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 ベルギー人は、第一次世界大戦後にアフリカのルワンダの統治権を得たが、人口の15%のツチ族を優遇し、85%のフツ族を極端に冷遇した。ほぼすべての首長をツチ族に独占させ、税金、労務もツチ族を優遇した。また、公立学校に通えるのはツチ族の子弟のみとし、行政管理技術、フランス語の教育もツチ族に限定したが、これは大多数を占めるフツ族の教育レベルを抑え込む政策である。ベルギーの植民地支配を永続させるためには、多数派のフツ族の抑え込みが必要であり、そのためにツチ族を味方につけてベルギー人の犬にして、フツ族を看視させたのであるが、このベルギー人の極端に自己本位的な政策は、フツ族のツチ族に対する巨大な反感と恨みを買い、ルワンダ独立後にフツ族は、ツチ族に恨みを爆発させて、ホロコーストが発生する。1994年のルワンダ大統領搭乗機撃墜事件を切っ掛けに3か月で50万~110万人の死者が出た!ツチ族の人々の死体の山にフツ族の女性が群がり、宝石や時計を奪い、血の付いていない衣服をはぎ取った。しかし、ルワンダのホロコーストについてはフツ族の人々に罪はない。すべての責任は、ベルギー人にある。ツチ族とフツ族は、元々仲がよかったのだ!それをベルギー人が、ルワンダ支配を永続させるために、仲違いさせ反目し合うように仕向けたのである。民族間の融和を図った日本人の占領政策といかに異なることか。


 アフリカは、1912年までにエチオピア、リベリアを除いてフランス、イギリス、スペイン、ポルトガル、ドイツ、ベルギー、イタリアの西洋7か国に完全に分割支配されたが、白人は、現地人の強制労働と鉱物資源の搾取以外にアフリカで何もしなかった!インフラ整備、農業振興、普通教育、産業振興、伝染病撲滅、部族対立の解消など一切行わなかったのだ。文字通り搾取以外は何もしなかった。このためにアフリカ各国の経済のテークオフはつい最近のことで、それまでアフリカは未開のままに放置されていたのだ!日本人の植民地統治といかに異なることか。


 西洋人の植民地支配の特徴は7つある。第一は分割統治、国民が団結して支配者に向かってこないように、部族、民族、宗派、階級、地域などによって国民を分断し、互いに反目し合うように仕向けた。この点、部族、民族、宗派、階級、地域の融合と統一を図り、民族意識を高め、階級制や差別を終わらせた日本人の統治と余りに異なる。西洋人は文字通り”悪魔”で、日本人は”神”だ。


 第二は愚民政策。現地人の教育水準が上がると、当然民族独立の機運が高まるので、国民を無知蒙昧(もうまい)のレベルにとどめたが、これもまた、韓国などに見られたように子弟の教育を統治政策の最優先課題にし、無数の小学校を建設して現地人の識字率を先進国並みに飛躍的に向上させ、大学まで建設した日本人のやり方と著しく異なる。


 第三は少数支配。多数派が実権を持つのを恐れ、少数派の部族、民族、宗派、階級を優遇し、多数派の監視に当たらせた。インドネシア、マレーシアなどに見られるように、時には外国人を移民させて、これに権限を与えて多数派を抑え込んだが、その結果深刻な人種対立の原因を作った。


 第四は搾取。現地人に重税を課して搾取した上に、紅茶、コーヒー、染料、香辛料、麻薬などの貿易品を強制栽培させて利益をあげたが、これが食料の自給を困難にして大飢饉を度々招いた。又、インドでは、安価な綿製品を現地人に売りつけ、現地の織物産業を破壊した。中国では、市民を麻薬漬けにして暴利をむさぼった。韓国、台湾などに見られたように、水利工事、ダム工事、運河工事、農業訓練校、農業指導、逆ザヤ制度、低利融資などによって現地の穀物生産量を飛躍的に増大させ、人口を倍増させた日本人のやり方とは正反対である。


 第五は未開発と放置。西洋人は、自国の利益獲得に必要なケースでは、道路、橋、鉄道などを極まれに整備することはあったが、基本的にインフラは整備せずに放置した。現地人の職を確保するための工場も建設しなかった。日本人が、韓国などに見られるように、植民地のインフラを徹底的に整備し、銀行制度を確立し、日本からの投資を促して工場を建設し、職を増やし、商工業を振興して経済構造の高度化を図ったのとは対照的である。


 第六は差別。西洋人は、東洋人を当時人間とは見なしておらず、人間扱いしなかった。イギリスは、インド人を2度の世界大戦に駆り出したが、イギリス人は、インド人兵士とは同じ車に乗らず、食事もともにしなかった。全インドINA協会事務局長S・S・ヤダウによると「日本人は、インド国民軍の兵士と同じ車に乗り、食事をともにし、インド人を同胞として扱った」と述べている。パラオでは記述したように、それまでの西洋の支配者たちと異なり、日本人は現地の人たちとともに汗を流し、労働に勤しみ、勤勉の尊さを現地の人々に教えた。韓国や台湾では、日本から派遣された教師が、現地の子弟を親身になって教え、卒業生には今でも大変慕われている。


 第七は恐怖政治。現地人が暴動や反乱を起こすと、西洋人は武力で対抗し、反乱の首謀者や反乱者に組した村、町に対して徹底的に報復し、市民を虐殺し、恐怖感を植え付けて以後の反乱を抑止した。これは、日本人の後に台湾を支配した蒋介石の国民党政権や日本人の後に中国本土を支配した中国共産党政権も全く同じである。


 西洋人の支配は、支配者の利益のためだけのもので、現地人を搾取し、虐げ、人間扱いしなかったが、日本人は、現地人の繁栄と幸福のために尽くした。有色人種は、悪魔に苦しめられ、貧困と餓えと暴虐に苦しんでいたのであり、そのために日本人は戦ったのだ。太平洋戦争は正しい戦争であったことが、よくわかったはずだ。中国やフィリッピンでは、日本人の統治の評価は高くないが、それらの国では日本は、戦争に追われて韓国、台湾、パラオ、ブルネイ、インドネシアのように落ち着いて統治する機会がなかったことによる。落ち着いて完全な統治をしていたら結果は違っていた。また、戦後それらの国を支配した卑劣な中国共産党政権の中国人やアメリカ人の歴史の歪曲、反日プロパガンダによるのだ。パラオでアメリカ人が行った卑劣極まりない反日教育、反日プロパガンダについて思い出せ。アメリカ人は、日本人が整備した道路の舗装を全て剥がし、日本人が造った橋をすべて破壊し、工場を壊し、畑を隅々まで踏みつぶしたのである。そしてパラオの子供たちに「日本人は、理由もなくパラオ人を虐殺した」と大嘘を教えたのだ。アメリカ人にしてこれだけの大嘘をつくのである。中国、韓国、フィリッピンにおける反日教育が、どれほど凄まじく、かつ卑劣なものかは容易に想像がつくのだ。戦後の日本人についての悪評は、作られたものである。


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